編集

液晶ペンタブレットXp-pen社のArtist 15.6 Proを購入。

これでトラックボールでやっていたイラスト描きや画像修正が滑らかにできる。

……といいな。

撮影

撮影で必要になりジンバル『ZHIYUN WEEBILL S』を購入。現在ほぼ2大勢力になりつつあるDJIと迷ったが、より小型軽量なこちらを選んだ。

テスト撮影後に一度実践投入してみた。揺れのない映像は心地よいが少し縦揺れがに一度実践投入してみた。揺れのない映像は心地よいが少し縦揺れがあるのが気になります。

編集

先日メニューが複雑なBlu-rayの依頼があり、以前から持っていたけど使っていなかった「DVD Architect」でオーサリングをしてみました。
作ってみてわかったことを自分の記録としても残しておこうと思う。

  1. BDを作りBD (Blu-ray) レコーダーで見る際に、チャプターメニューから映像を選んで再生すると『次』『戻る』のチャプターボタンが動作しない。
    BD(Blu-ray)プレーヤーやPCのプレーヤーではこのボタンは動作するし、DVDでは当たり前の動作なのでこれが効かないのは致命的。多くの家庭にあるのがBDレコーダーですが、その家庭ではチャプター移動ボタンが動かないことになります。原因としてはBDプレーヤーは国際規格なので動作するけれど、BDレコーダーは日本独自規格ということで動かない。「DVD Architect」は日本独自規格に対応していないらしい。
  2. BD制作時に使う映像データはAVCHDコンテナのH.264/AVCにあらかじめ変換しておく。これによって 「DVD Architect」で再変換する必要が無くなります。ちなみにDVDの場合は 映像mpeg2(m2v)と音声AC3(mpa)を作っておけば時間がかからなくていいです。
  3. 2.と同じような話ですがデータ容量を調整してディスクを作ることができる。ただし再変換になるので時間がかかるので最初から容量を調整してデータを作れば再エンコードせずに済む。
  4. リモコンボタンを制御できる設計だけど、ほとんどが「オン」か「オフ」しかないものが多く、「オン」にした後どうするかとか「オフ」にすることでどうなるか分からず不便でしかない。
  5. 映像をサムネイルにしてチャプターボタンにすると、サムネイルの動画が動くボタンにできるけど、映像がループせずに途中で止まる。
  6. メニュー画面にする画像の画質が元画像と比べると低下する。

とりあえずあらかじめ分かっていれば苦労せずに済んだことです。なにしろ
「DVD Architect」 を使う人が少なく情報もほとんどないので、これからこれを使う人のために、またどこかに書いておかないと自分が忘れるので……。

美術

愛知県在住の日本画アーティスト、徐凡軒さんのプロモーション映像を制作しました。

徐凡軒さんは台湾出身で愛知県立芸術大学で博士号を取得された先生です。
日本に芸大が数多くある中で、愛知県立芸大の自然が多い環境に一目ぼれして入学したということです。
作品制作にも密接にかかわる緑多いこの地に徐さんはアトリエを構えてらっしゃいます。
夏の暑い日に徐さんのアトリエへ伺い撮影することになりました。
作品制作は刷毛で一気に描く作品や、面相筆で繊細に描く作品といった
徐さんの動と静の両面を撮ることができました。
映像の中で北田先生がおっしゃっている『KOMOREBI』は、徐さんが猪高緑地で取材して作品を制作しているということで一緒に行ってその様子を撮影しました。
この森はとても静寂で鳥のさえずりしか聞こえないくらいのところですが、歩道が整備されているので奥まで入っていける森です。
徐さんは真っ白いキャンバスに、樹々の影を映しこんで作品をイメージする手法で、それを撮影しながらあらためて木洩れ日の美しさを再発見する思いでした。

そして徐さんの個展が名古屋の画廊ガレリア・デ・アルテで開催され、完成した映像はこの個展の期間中上映していただきました。
この画廊の運営に携わっている渡辺さんは、このプロモーション映像の発起人です。

今回、徐さんや北田先生からたくさんお話を伺いました。
徐さんのご家族のお話や貴重なお話をいろいろお聞きしましたが、ごく一部しかご紹介できなかったのが残念です。
何かの機会にご紹介できればと思っています。

徐さんのインスタなどでも見られる、飼い猫のブルー君とアトリエへ撮影に行った時に触れ合えました。
ブルー君はおとなしく人懐こいので猫好きの私には楽しいひと時でした。

徐さんのInstagram
https://www.instagram.com/artist.hsu/

未分類

7月に入ってとっても驚いたことが起こった。東海地方で『水戸黄門』の再放送が始まったのだ。
テレビ愛知の決断は素晴らしい!この地方のお年寄りを救ったと言ってもいい。
CBCと同じ時間の午後4時開始というところも英断と言っていいでしょう。
ただこの時期は同じ時間に強力なコンテンツ『大相撲名古屋場所』があるので、
数字に表れるのは名古屋場所が終わった後だと思うが、できるだけ長く続けて欲しい。
お年寄りは報道ももちろん見ているけれど、『水戸黄門』と『大相撲』はきちんと見ているし、これによって時間の感覚が保たれているのではないでしょうか。
また今回始まったのが『東野黄門』だったことで選択肢もいいと思いました。

撮影

2008年頃からテープレス化の大波が来ました。カードメディアでの収録の始まりです。
元いた会社でもSONYのXDCAM-EXというHD規格のカメラ、PMW-EX3とPMW-EX1Rを導入し、ハイビジョン化しました。
テープレス化したというのは、単純にテープを駆動させるモーターやベルト、ギヤだとかテープを出し入れをするための部品も要らなくなるということです。
それは故障する度合いが減るということにもつながり、使いまわしできなかったテープから使いまわしできるカードメディアになったことで、消耗品も減るという小さな会社や個人にとってとてもいいものでした。
この頃になるとカメラ本体の価格も一台100万円以上だったものから、60万円台へとかなり値下がりしたので、私でも手が出る価格になってきていました。
このSONYのカメラは私が退社してもなお使い続けているということです。

さて現在のカメラは昨年記したように、(『ビデオカメラの選択』)
http://www.myrte-design.com/wp/post-11/
長年使い続けてきたSONYではなくpanasonicを選びました。
当然ディスクメディアでの収録です。
そして昨年10月に記した一眼レフカメラをついに導入しました。
panasonicのLUMIX G8です。
これをもって一眼動画の撮影も可能になりました。
世間様からは何歩も遅れてるのでさらなる研鑽が必要ですね。

美術

春の院展の券をいただき、松坂屋名古屋店に出かけました。

春の院展は毎年東京の三越日本橋店から日本中を巡回する展覧会で、名古屋は4月13日に開会されました。
日本中を巡回するということもあり、この地方ゆかりの先生の絵が多く飾られています。
また先生方もたくさんいらっしゃっていました。
私はこれまで洋画よりも岩絵の具や墨で描かれた日本画を好んで見てきました。
最近は伊藤若冲や長澤芦雪・曽我蕭白・円山応挙・葛飾北斎・歌川広重・歌川国芳などの江戸時代の絵や、横山大観・下村観山・速水御舟など明治から大正・昭和の日本画が流行っていることもあり展覧会も増えたおかげで、行けるところには足を運んでいました。
なかでも前田青邨・小林古径・安田靫彦の歴史画や花鳥画が特に好きで、この地方の美術館で所蔵している作品が多いことから数々の作品が見られました。

今回の春の院展では現役の画家の先生が描く日本画を拝見しましたが、伝統的な大和絵から洋画のような絵(失礼なんでしょうか?)、題材やフレームの切り取りかた、光や色、時間の表現など、映像を作るうえで沸沸と創作意欲がわきました。

春の院展 名古屋展 日本美術院ホームページ
http://nihonbijutsuin.or.jp/ippan74/nagoya.html

撮影

映像機器が映像制作の世界に起こした革命は大きく二つあります。
一つはSONYのハンディカムで、『ビデオカメラの小型化』です。
ただし初期のハンディカムはアナログの8mmビデオで、放送・業務用では使用するのには画質と見た目で不向きでした。
その後、1994年にテープはデジタル化し高画質化したDVテープが登場します。
このDVテープの登場によって映像制作の世界にも、長い長いアナログ時代を経てついにデジタルの時代になります。
さらに1998年頃になると、SONYはDVCAMというDVテープを業務規格にしたデジタルテープを発売します。
規格としてはDVテープと同じサイズで60分撮れるミニテープと、現在のスマホくらいのサイズのテープで174分撮れるラージテープになります。
ちなみにこの頃ライバルのpanasonicはDVCPROという規格でDVテープを業務規格にしたデジタルテープで対抗していました。
SONYは家庭用DVカメラの発売と同時に、それより大型のレンズとボディを持ったハイアマチュア用のVX1000を発売。
このカメラの登場は映像制作の様々な事を変えていくことになります。
まずロケ撮影に持っていく荷物が減ったこと。
当時ロケ撮影は重いショルダーカメラで扱う機材が多く、人も多く必要でした。それを小型カメラにすることで人や機材が少なくても撮影できることにしてしまったんです。
ちょっと大きめのカバンにマイクからなにから全部入ります。
このことはバブル崩壊後の不況の世の中に状況にマッチして、これまで分業だったはずのディレクターとカメラマンの仕事が、ディレクター1人でこなせるようになってしまいます。
同時にテレビのロケ現場から、予算の都合やさまざまな理由でプロカメラマンや音声マンといった技術スタッフがどんどん減っていきます。
このころテレビ局の自社スタッフは放送技術が中心で、撮影などの技術スタッフは外部の制作プロダクションが行っていました。
タレントさんとディレクター兼カメラマンの二人で、日本の各地や世界中を旅する番組がこのカメラによって爆発的に増えました。
この人員削減の影響で多くのテレビ制作プロダクションが無くなったり、業態変換を余儀なくされます。
この流れは2019年現在にも続いていて、テレビやロケという概念をこのカメラが変えたと言ってもいいと思います。
その後2000年にはVX1000に液晶モニターが付いたVX2000と、その業務用PD-150が登場します。
これまで業務用カメラはファインダーを覗く、つまり片目で見るものでしたが、『両目』で液晶モニターを見ながら撮影するというスタイルが定着します。

この『液晶モニターを見ながら撮影する』スタイルは、1992年にシャープが発表した家庭用ビデオカメラ『液晶ビューカム』が最初で、ビデオカメラのもう一つの革命でこれ以降液晶のつかないカメラは無いと言ってもいいほど定着し、写真のカメラにも波及していきます。
当時、両手で本体を持って両目で見る撮影スタイルを各地の運動会や発表会など様々なところで見かけました。
この液晶モニターを備えた最初の小型の業務用カメラPD-150は、徒弟制度的なカメラマンの世界でも、カメラマンとして教育を受けていない人が活躍できるようになった初めてのカメラといってもいいと思っています。
この後肩にのせるスタイルしかなかったカメラも、片手で撮れるハンディカメラというスタイルに変わっていくことになります。

さて話は私が所属していた会社の話に戻りますが、ベーカムを6年ほど使用した後、会社にもDVCAMカメラ『DSR-300』と『DSR-500』というショルダーの一体型カメラが導入されます。
この174分のラージテープでも60分のminiテープでも両方使えるカメラを仕事に応じてテープを割り振って使っていました。
ワンカットごとの商品撮りや、1シーンごと撮るような仕事はDVCAMminiテープで。
講演会やイベントなどの記録はDVCAMラージテープという具合です。
私としては一本で長時間の記録撮影が可能になるのと、デジタルテープの強みとしてコピーしても画質が劣化しないというのに驚きました。
そしてなんといってもカメラが軽い!この一点につきます。
職業病の慢性肩こりも軽減できると期待したのをよく覚えています。
ただ前述したような液晶モニターは無く、ファインダーを覗く毎日を続けていくことになります。
DSR-300とDSR-500はDSR-500のほうが上位機種で画質が良く、企業PVは常にこちらを使用していました。
一眼レフカメラのようにレンズを取り換えられるので、取り外して小さくしたうえで飛行機の機内持ち込みにして岩手県や佐賀県へ出張したものでした。
SONYのショルダーカメラは、DVテープに向かわずにベーカムをデジタル化していった放送用の『デジタルベ―タカム』と、業務用の『DVCAM』に住み分けができていきます。
会社ではやっと世の流れに乗ってPD-150も導入されました。
初めてのハンディカメラです。

撮影

ある日会社にもベーカムがやってきた。
それはUマチック(シブサン)との別れでもあった。
ただベーカムとはいえ長時間録画ができない(カメラ一体型に使用できるスモールカセットテープで30分……シブサンからたった10分増えただけ)のでS-VHSは残った。
会社ではカメラ2台、編集用のビデオデッキ(BVW-2800)1台、ロケ用の長時間記録ができるラージカセットテープが使えるポータブルビデオデッキ1台に投資(BVW-50)。
全部で5~600万くらいでしょうか?いま思っても結構な投資だったと思います。
当時業務用ではベーカムはほぼ標準でしたので、やっと他の制作会社に並んだ形です。
同時にS-VHSから比べると高画質化も達成しました。
カメラはショルダータイプのカメラです。
このタイプはビデオデッキ一体型なので重くなりましたが、一人で撮影できることもあってロケの取り回しが楽になりました。
カメラはこうして改善されましたが編集環境まではよくしてもらえず、普通編集機は再生機と録画機がワンセットでビデオデッキが最低2台要るところを1台しか購入していません。
ビデオデッキが一台しかないということは普通に考えたら編集不可能です。
そこでポータブルビデオデッキが活用されます。
子のポータブルビデオデッキを編集用再生機として使うことになりました。
従って長時間記録が必要なロケの場合はポータブルの再生機が無く、編集ができないという事態が発生していました。
ロケと編集が立て込んだときはポータブルビデオデッキの熾烈な争奪戦です。
しかしベーカムを導入しても、まだS-VHSは使われていましたので2種類並列して使っていくことになります。
そしてこの投資によりこの後6年ほどはベーカムをメインで使用していくことになりました。
当時、編集の完成品はS-VHS、またはVHSで納品というアナログテープの全盛期です。
アナログテープはその性質上ノイズなどのエラーが多く、撮影はもちろん、編集からコピーに至るまでテープを使用します。
特にコピーは完成時間と同じ時間だけ使ってコピーし、そのチェックにも同じ時間が必要でした。
コピーしたものにノイズがあると原因を遡らないといけないのでとっても大変でした。
それから25年ほど経っても、ディスクの再生チェックは完成品の時間と同じだけ必要で、ノイズなんかがあると大変なのは変わらないんすけれども。

撮影

入社当時(1992年頃)は VHSテープによるレンタルビデオ店が全盛期で、家庭用のビデオデッキもかなり高い率で普及していました。
ご存知の通りVHSはビクターが作ったビデオテープの規格で、発売当初にあったSONYのベータ・ベータマックスとの勢力争いに勝って、一般にはベータは負けたとか消えた状態でした。
しかし放送業務用ビデオではSONYのベータカム(BETACAM=通称ベーカム)か、panasonicのMⅡ(エムツー)の勢力争いがあり、こちらはベーカムが事実上世界標準となっていました。
テープに記録されると言ってもアナログなので、コピーや編集をすると画質の劣化がありました。
自分でもレンタルビデオ店で借りた映画をコピーしていたものです。

一方会社ではUマチックのシブサンテープの使用頻度がとても高く、だんだん新規購入やデッキのメンテナンスも限界に来ていました。
自分も録画時間20分という短い時間と、アシスタントにテープチェンジの合図を出したものの、アシスタントがよそ見をしていたり、ぼんやりしていて気づかないなどかなりストレスを感じていました。
そんなある時、会社ではカメラケーブルで制御できる業務用S-VHSデッキを、長時間記録用に導入。
これによりアシスタントの仕事もケーブルを整えることが中心になり、テープチェンジの恐怖から解放されました。
このころはテープも卸業者さんから購入していて、よく御用聞きのように営業の方が来ていたのを覚えています。
こうして会社で使用するセパレートのビデオデッキはシブサンからS-VHSデッキに置き換わり、カメラはSONY製でビデオデッキはpanasonic製というチグハグ構成となりました。
SONYのカメラは自社製品以外のビデオデッキにも対応しているのもあり、そのなかでDXC-3000は対応、DXC-M3やM7は非対応でした。
ただし対応していると言っても、カメラ内部の基盤にあるスイッチを切り替える必要があり、よくカメラ本体のふたを開けて基盤を触っていたものです。
怖いですねそれが当たり前だったんです。
ただ、長時間記録ができてもS-VHSはやはり家庭用画質レベルで、振り返ってもよくあの画質で仕事できてたものだと思います。
シブサンと比べてもS-VHSはノイズが多いので、完パケ(完全パッケージの略だと言われています)テープは目を皿のようにしてチェックしていました。