『水戸黄門』

2019年7月8日

名古屋のテレビ局では平日夕方16:00から『水戸黄門』を再放送している。
もともとの放送は自分が生まれる前から40年以上続いたものだ。
話数もたくさんあるので再放送も繰り返し繰り返ししてきたのは知ってい大変。
光圀公や助さん格さんも代替わりしても基本設定は同じなれども、お銀(お絹)がいつごろから出始めたのかも知らないし、いつの間にかうっかり八兵衛や弥七がいなくなり、映像もフィルムでの撮影からビデオ撮影になって、映像の質感のせいかコントのように感じていたりもした。
時は経ち、近年どうにか『フィルムの質感』を取り戻したという話を聞いたりしたものの、ついに月曜夜八時という放送枠そのものが無くなって40年以上の放送も終了してしまった。
番組自体は子供の頃は見ていたけれど、映像を作ろうと思い立つ頃には、よくもまあ同じ話を延々と作れるものだと思い本当にまったく見ることはなかった。

もちろん放送終了も話題になったので知っていたけれどその時点では気にも留めていなかった。
ただずっと再放送だけは繰り返し何年も続いているので、ある一定の年齢層の方々からは夕方16:00からは『水戸黄門』というのが体に染みついているようである。
それというのも義父が入っていた介護施設にその時間帯に妻の付き添いで尋ねると、共有ルームのテレビで同じ施設にいる皆さんが『水戸黄門』を楽しみに待っているという話を聞いたし、何度か実際に見たりした。
当時 土日出勤で平日休みの会社員だったので、平日はよく施設に行っていたのでそんな光景をよく目にしていた。
残念ながら義父は2011年4月に亡くなってしまったが、その約1か月前の東日本大震災からあとは水戸黄門だけでなくそのほかの放送も無く、震災と日常の区別があまり無いあの施設の皆さんがどうしていたか記憶にない。

それから月日が経ち、ある日の再放送で何年かぶりに見た❝東野黄門❞のとんでもなさに圧倒されてしまった。
あれ!なんだ!何かすごいぞ!こんなに作法やしぐさがキレイだったっけ?
お百姓さんは目上の人の前では頬かぶりを外し、女性や老人は頭巾を取る。侍が刀の鯉口を切ると緊張感が走り。髷は毎朝中間の者が結う。ふすまを開ける閉めるなんて簡単なことや、荷駄を担ぐ棒を前後同じ側の肩に乗せているし、大工さんの道具の持ち方ときたら驚愕ものです。
フィルムの質感といい、あの子供の頃に何気なく見ていた『水戸黄門』がこんなに面白かったなんて!自分が年を取り時代劇の「見方」が変わったんだろうけれども……。
それから木下忠司の音楽が映像が新しくなっていてもつけられていて、耳に残っていることも大きいんでしょうか。
その後は、いくら結末が同じでも弥七がいなくてもビデオ映像でも、それまでの時間を取り戻すがごとく、見られるときは見て「ああ今日も観終った」と思うものでした。

そして先日その再放送が2019年3月いっぱいで終了することが発表されました。
それで知ったのですが、再放送が始まってから実に45年!45年もの間、繰り返しとはいえ夕方16:00の定番として本放送より長い期間我々を楽しませてくれていたのです。

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Posted by myrte