撮影

撮影で必要になりジンバル『ZHIYUN WEEBILL S』を購入。現在ほぼ2大勢力になりつつあるDJIと迷ったが、より小型軽量なこちらを選んだ。

テスト撮影後に一度実践投入してみた。揺れのない映像は心地よいが少し縦揺れがに一度実践投入してみた。揺れのない映像は心地よいが少し縦揺れがあるのが気になります。

撮影

2008年頃からテープレス化の大波が来ました。カードメディアでの収録の始まりです。
元いた会社でもSONYのXDCAM-EXというHD規格のカメラ、PMW-EX3とPMW-EX1Rを導入し、ハイビジョン化しました。
テープレス化したというのは、単純にテープを駆動させるモーターやベルト、ギヤだとかテープを出し入れをするための部品も要らなくなるということです。
それは故障する度合いが減るということにもつながり、使いまわしできなかったテープから使いまわしできるカードメディアになったことで、消耗品も減るという小さな会社や個人にとってとてもいいものでした。
この頃になるとカメラ本体の価格も一台100万円以上だったものから、60万円台へとかなり値下がりしたので、私でも手が出る価格になってきていました。
このSONYのカメラは私が退社してもなお使い続けているということです。

さて現在のカメラは昨年記したように、(『ビデオカメラの選択』)
http://www.myrte-design.com/wp/post-11/
長年使い続けてきたSONYではなくpanasonicを選びました。
当然ディスクメディアでの収録です。
そして昨年10月に記した一眼レフカメラをついに導入しました。
panasonicのLUMIX G8です。
これをもって一眼動画の撮影も可能になりました。
世間様からは何歩も遅れてるのでさらなる研鑽が必要ですね。

撮影

映像機器が映像制作の世界に起こした革命は大きく二つあります。
一つはSONYのハンディカムで、『ビデオカメラの小型化』です。
ただし初期のハンディカムはアナログの8mmビデオで、放送・業務用では使用するのには画質と見た目で不向きでした。
その後、1994年にテープはデジタル化し高画質化したDVテープが登場します。
このDVテープの登場によって映像制作の世界にも、長い長いアナログ時代を経てついにデジタルの時代になります。
さらに1998年頃になると、SONYはDVCAMというDVテープを業務規格にしたデジタルテープを発売します。
規格としてはDVテープと同じサイズで60分撮れるミニテープと、現在のスマホくらいのサイズのテープで174分撮れるラージテープになります。
ちなみにこの頃ライバルのpanasonicはDVCPROという規格でDVテープを業務規格にしたデジタルテープで対抗していました。
SONYは家庭用DVカメラの発売と同時に、それより大型のレンズとボディを持ったハイアマチュア用のVX1000を発売。
このカメラの登場は映像制作の様々な事を変えていくことになります。
まずロケ撮影に持っていく荷物が減ったこと。
当時ロケ撮影は重いショルダーカメラで扱う機材が多く、人も多く必要でした。それを小型カメラにすることで人や機材が少なくても撮影できることにしてしまったんです。
ちょっと大きめのカバンにマイクからなにから全部入ります。
このことはバブル崩壊後の不況の世の中に状況にマッチして、これまで分業だったはずのディレクターとカメラマンの仕事が、ディレクター1人でこなせるようになってしまいます。
同時にテレビのロケ現場から、予算の都合やさまざまな理由でプロカメラマンや音声マンといった技術スタッフがどんどん減っていきます。
このころテレビ局の自社スタッフは放送技術が中心で、撮影などの技術スタッフは外部の制作プロダクションが行っていました。
タレントさんとディレクター兼カメラマンの二人で、日本の各地や世界中を旅する番組がこのカメラによって爆発的に増えました。
この人員削減の影響で多くのテレビ制作プロダクションが無くなったり、業態変換を余儀なくされます。
この流れは2019年現在にも続いていて、テレビやロケという概念をこのカメラが変えたと言ってもいいと思います。
その後2000年にはVX1000に液晶モニターが付いたVX2000と、その業務用PD-150が登場します。
これまで業務用カメラはファインダーを覗く、つまり片目で見るものでしたが、『両目』で液晶モニターを見ながら撮影するというスタイルが定着します。

この『液晶モニターを見ながら撮影する』スタイルは、1992年にシャープが発表した家庭用ビデオカメラ『液晶ビューカム』が最初で、ビデオカメラのもう一つの革命でこれ以降液晶のつかないカメラは無いと言ってもいいほど定着し、写真のカメラにも波及していきます。
当時、両手で本体を持って両目で見る撮影スタイルを各地の運動会や発表会など様々なところで見かけました。
この液晶モニターを備えた最初の小型の業務用カメラPD-150は、徒弟制度的なカメラマンの世界でも、カメラマンとして教育を受けていない人が活躍できるようになった初めてのカメラといってもいいと思っています。
この後肩にのせるスタイルしかなかったカメラも、片手で撮れるハンディカメラというスタイルに変わっていくことになります。

さて話は私が所属していた会社の話に戻りますが、ベーカムを6年ほど使用した後、会社にもDVCAMカメラ『DSR-300』と『DSR-500』というショルダーの一体型カメラが導入されます。
この174分のラージテープでも60分のminiテープでも両方使えるカメラを仕事に応じてテープを割り振って使っていました。
ワンカットごとの商品撮りや、1シーンごと撮るような仕事はDVCAMminiテープで。
講演会やイベントなどの記録はDVCAMラージテープという具合です。
私としては一本で長時間の記録撮影が可能になるのと、デジタルテープの強みとしてコピーしても画質が劣化しないというのに驚きました。
そしてなんといってもカメラが軽い!この一点につきます。
職業病の慢性肩こりも軽減できると期待したのをよく覚えています。
ただ前述したような液晶モニターは無く、ファインダーを覗く毎日を続けていくことになります。
DSR-300とDSR-500はDSR-500のほうが上位機種で画質が良く、企業PVは常にこちらを使用していました。
一眼レフカメラのようにレンズを取り換えられるので、取り外して小さくしたうえで飛行機の機内持ち込みにして岩手県や佐賀県へ出張したものでした。
SONYのショルダーカメラは、DVテープに向かわずにベーカムをデジタル化していった放送用の『デジタルベ―タカム』と、業務用の『DVCAM』に住み分けができていきます。
会社ではやっと世の流れに乗ってPD-150も導入されました。
初めてのハンディカメラです。

撮影

ある日会社にもベーカムがやってきた。
それはUマチック(シブサン)との別れでもあった。
ただベーカムとはいえ長時間録画ができない(カメラ一体型に使用できるスモールカセットテープで30分……シブサンからたった10分増えただけ)のでS-VHSは残った。
会社ではカメラ2台、編集用のビデオデッキ(BVW-2800)1台、ロケ用の長時間記録ができるラージカセットテープが使えるポータブルビデオデッキ1台に投資(BVW-50)。
全部で5~600万くらいでしょうか?いま思っても結構な投資だったと思います。
当時業務用ではベーカムはほぼ標準でしたので、やっと他の制作会社に並んだ形です。
同時にS-VHSから比べると高画質化も達成しました。
カメラはショルダータイプのカメラです。
このタイプはビデオデッキ一体型なので重くなりましたが、一人で撮影できることもあってロケの取り回しが楽になりました。
カメラはこうして改善されましたが編集環境まではよくしてもらえず、普通編集機は再生機と録画機がワンセットでビデオデッキが最低2台要るところを1台しか購入していません。
ビデオデッキが一台しかないということは普通に考えたら編集不可能です。
そこでポータブルビデオデッキが活用されます。
子のポータブルビデオデッキを編集用再生機として使うことになりました。
従って長時間記録が必要なロケの場合はポータブルの再生機が無く、編集ができないという事態が発生していました。
ロケと編集が立て込んだときはポータブルビデオデッキの熾烈な争奪戦です。
しかしベーカムを導入しても、まだS-VHSは使われていましたので2種類並列して使っていくことになります。
そしてこの投資によりこの後6年ほどはベーカムをメインで使用していくことになりました。
当時、編集の完成品はS-VHS、またはVHSで納品というアナログテープの全盛期です。
アナログテープはその性質上ノイズなどのエラーが多く、撮影はもちろん、編集からコピーに至るまでテープを使用します。
特にコピーは完成時間と同じ時間だけ使ってコピーし、そのチェックにも同じ時間が必要でした。
コピーしたものにノイズがあると原因を遡らないといけないのでとっても大変でした。
それから25年ほど経っても、ディスクの再生チェックは完成品の時間と同じだけ必要で、ノイズなんかがあると大変なのは変わらないんすけれども。

撮影

入社当時(1992年頃)は VHSテープによるレンタルビデオ店が全盛期で、家庭用のビデオデッキもかなり高い率で普及していました。
ご存知の通りVHSはビクターが作ったビデオテープの規格で、発売当初にあったSONYのベータ・ベータマックスとの勢力争いに勝って、一般にはベータは負けたとか消えた状態でした。
しかし放送業務用ビデオではSONYのベータカム(BETACAM=通称ベーカム)か、panasonicのMⅡ(エムツー)の勢力争いがあり、こちらはベーカムが事実上世界標準となっていました。
テープに記録されると言ってもアナログなので、コピーや編集をすると画質の劣化がありました。
自分でもレンタルビデオ店で借りた映画をコピーしていたものです。

一方会社ではUマチックのシブサンテープの使用頻度がとても高く、だんだん新規購入やデッキのメンテナンスも限界に来ていました。
自分も録画時間20分という短い時間と、アシスタントにテープチェンジの合図を出したものの、アシスタントがよそ見をしていたり、ぼんやりしていて気づかないなどかなりストレスを感じていました。
そんなある時、会社ではカメラケーブルで制御できる業務用S-VHSデッキを、長時間記録用に導入。
これによりアシスタントの仕事もケーブルを整えることが中心になり、テープチェンジの恐怖から解放されました。
このころはテープも卸業者さんから購入していて、よく御用聞きのように営業の方が来ていたのを覚えています。
こうして会社で使用するセパレートのビデオデッキはシブサンからS-VHSデッキに置き換わり、カメラはSONY製でビデオデッキはpanasonic製というチグハグ構成となりました。
SONYのカメラは自社製品以外のビデオデッキにも対応しているのもあり、そのなかでDXC-3000は対応、DXC-M3やM7は非対応でした。
ただし対応していると言っても、カメラ内部の基盤にあるスイッチを切り替える必要があり、よくカメラ本体のふたを開けて基盤を触っていたものです。
怖いですねそれが当たり前だったんです。
ただ、長時間記録ができてもS-VHSはやはり家庭用画質レベルで、振り返ってもよくあの画質で仕事できてたものだと思います。
シブサンと比べてもS-VHSはノイズが多いので、完パケ(完全パッケージの略だと言われています)テープは目を皿のようにしてチェックしていました。

撮影

自分が会社にいる時に使ってきたカメラのことを思い出していました。
1992年に入社して最初は SONYのセパレート型カメラ(カメラとビデオデッキが別々になっている)、DXC-3000で撮影していました。
DXC-3000は肩にのせるショルダータイプ(肩にのせるタイプ)のカメラで、当時広まり始めた『CCD』※1)というセンサーの『撮像板』カメラです。
カメラをライトや太陽などの光源に直接向けると、『スミア』という上下に一筋の白い線が出る現象が起こりました。
白い筋が出た部分の映像は白い筋として記録してしまうので、これが『CCD』の弱点と教えられたものです。
このカメラは軽いという利点もあってずいぶん長いこと使いました。
ただセパレート型カメラというくらいですから、カメラとビデオデッキが別々になっていて、『カメラケーブル』という缶コーヒーくらいの太さの専用ケーブルをそれぞれに繋ぐことで初めて録画できるというカメラです。
当時は放送用以外ではまだ一部にしか業務用一体型 カメラはありませんでした。
カメラとビデオデッキが別々というのは、ほとんどの機材がコンパクトになった今では考えられないぐらい不便で、ビデオデッキの大きさも今の家庭用のインクジェットプリンタぐらいあり、重くて放送用カメラがうらやましくて仕方がありませんでした。
近年は超小型カメラと記録部分がケーブルでつながれているものをセパレート型カメラと呼びますがそれはもう用途が違います。
現在では放送局のスタジオカメラくらいがカメラケーブルを使っているんでしょうか。
そのうちにDXC-M3やDXC-M7という画質がいい『撮像管』※2)という真空管のようなガラス管を使用したカメラを使わせてもらえるようになりましたが、本体がとても重いこともあって機材が足らない時にだけ使ったものでした。
このカメラは光源をを撮り続けていると『焼き付き』現象が起きてしまったり、光を撮ってカメラを動かすと残像光が流れる現象が起きたりと弱点がありました。

ビデオデッキは当然ビデオテープを使っているので、テープの出し入れやローディングといってビデオテープを入れた時に録画できるように、カセットからテープを引き出す動きがあったり、とにかく動かす部品が多いので『ギアが摩耗した』『ヘッドが消耗してノイズが出た』『巻き取り機構が狂った』とか故障も多く非常に慎重に運用していました。

ビデオテープは3/4インチテープ 通称『シブサン』と呼ぶB5サイズぐらいの大きさのカセットで、録画時間が最大20分という今では考えられない長さしか録画できないテープでした。
名前の由来は幅が1インチ(25.4mm)の3/4幅(19.5mm)だからということで、SONYの商標はローディングが『U字』になっていることから『Uマチック』※3)というものでした。
長時間の収録には不向きで大きなテープを何本も用意していないといいけないこと。
カメラの大きさ以上の容積ですので、保管場所も取るなど不便でした。
またテープ交換をする人や、先ほどのカメラケーブルをさばく人がカメラマン以外にも必要になるなど人員確保も大変だった記憶があります。

※1『CCD』wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/CCD%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B5

※2 『撮像管』wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%92%AE%E5%83%8F%E7%AE%A1

※3『Uマチック』wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/U%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF

撮影

梅の花が咲くところを定点撮影しようとカメラをセットしたが、何が不調か分からないけれども撮れなかった。(これについては原因究明が必要。)
まだこれから咲くのもあると思って樹の上方へ向けて撮影してみました。

カメラは台湾BrinnoのBCC100を使用。
定点撮影でよく使われる防水ケース付きのカメラです。

ごらんのとおり太陽が当たっていない時はシルエットのようになる。
そのためか梅というより雲のタイムラプスを撮ったようになっていて、花もよく見えないしイマイチ何がしたいか分からない映像になってしまった。
空向きの撮影で露出補正をするとどうなるか、こういう定点観測ではあまり空にカメラを向けることが無いので実験が必要だと思う。
雨粒については対策がないものだろうか。器具を作ってひさしで防ぐしかないか?

来年はもう少し梅の花そのものをクローズアップして撮影しよう。

撮影

1ヵ月間休みましたが、復活します。

今年撮影したものを記しておきます。

●建築物=犬山城・名古屋城・岐阜城・大垣城・清洲城・郡上八幡城・真清田神社・ロボット水門・一宮駅・岐阜駅・金の信長像・岐阜ツインタワー

●自然=養老の滝・日本ライン(木曽川)・モネの池・御手洗滝

●植物=もみじ・イチョウ・コスモス・バラ・ヒマワリ・彼岸花・どんぐり・稲・銀梅花

●動物=白鳥・黒鳥・鳶・百舌・カメ・青鷺・ヌートリア

全部素材として使えるように撮った4K映像です。

撮影

一眼レフカメラで動画が撮れるようになってずいぶん時間が経ちました。初期は撮影時間が極端に短いとか、音の収録がダメとかそんな噂をたくさん聞きました。しかし 映像を見るとレンズを使い分けた『これぞ映画』という映像に当時はしびれたものです。

あの映画もこの映画も一眼レフカメラで撮影したと聞くと『いつか自分も』と思ったものです。ただ本格的に撮影するとなるとレンズを揃えたりしなければならず、結構高価になってしまうので個人が買うにはなかなかハードルが高いこともあり、買えないまま時は過ぎました。最近はミラーレス一眼でも動画撮影をすることができるようになり、価格も安くて手を出せそうになってきました。手に入れるのはもう少し先になりそうですが、試してみたいものです。

あ、特にあの映画、この映画の『あの』『この』に特定の映画は無いです。念のために。

撮影

名古屋城へ行きました。天守閣は木造に作り替える工事が始まって入場できなくなっていましたが、建物自体はまだあるので外から見ることができました。

石垣に足場が

お濠には以前からいた鹿がいて、夏の間育ちに育った豊富な草を食べていました。昨年来たときは二頭いたのにこの日に見かけたのは一頭のみ、もう一頭はどうしたんでしょう?

鹿

さて、天守閣には入れなくなっていますが、代わりに今年完成した本丸御殿は入場料だけで見られることになっています。本丸御殿には数多くの襖絵や欄間などの装飾が戦災を逃れて残されていて、模写やデジタルコピーで展示されていてます。見学した当日には本物の 国指定重要文化財「竹林豹虎図」の 展示もあり、ガラス越しですが”本物”が見られたことを考えると、これを戦災に合わないよう未来に残すために疎開させた人々の努力は敬服するしかありません。

本丸御殿

名古屋城内には茶席もあります。こちらも現在改修工事中で近づけませんが、柵から一番近い織部堂は外側だけ見られます。

織部堂(戦後の再建建物)

見学後は昨年できた金シャチ横丁で昼食をとりました。

天丼をいただきました。

こちらは昨年天守閣に入った時に展示してあった金鯱です。ほかにも鉄砲や鎧兜など展示してありましたがそれらはどこにあるのか見かけませんでした。